創設者紹介

同盟育成会の創設者、岩永裕吉、古野伊之助両氏

岩永裕吉氏
岩永裕吉氏

同盟通信社の初代社長、岩永裕吉氏と第2代社長の古野伊之助氏は、同盟育成会の創設者です。二人は、生まれ育った境遇は極めて異なるものがありましたが、青少年支援への並々ならぬ情熱では共通していました。

岩永氏は、旧内務省衛生局長などを務めた長与専齋氏の4男として、1883 (明治16) 年、東京で生まれました。幼少期に母方の叔父で後に日本郵船の役員となる岩永省一氏の養子に。旧制一高を経て京都帝国大学を卒業後、鉄道官僚を務めたのち、「国際通信社」や「日本新聞聯合社」で役員を務め、養父の死去により、岩永家の資産を相続しました。

岩永氏はまた国際通信社時代、同社に対するロイター通信の支配からの独立に向け、貢献。日本におけるその後の通信社の発展に多大な業績を残しました。

古野伊之助氏
古野伊之助氏

一方、古野伊之助氏は1891 (明治24) 年、三重県内の手織り機屋の長男として生まれました。幼くして父親を亡くし、15歳で英語を学ぶため単身上京。株屋などに住み込みで働き、夜学の英語学校に通った苦学力行の人でした。

古野氏は、1909 (明治42) 年に米AP通信東京支局に給仕の職を得たのをきっかけに、ジャーナリストの道に進みます。国際、聯合と岩永氏と同じ会社で働き、二人とも日本の主張を世界に発信するために「国家代表通信社」の必要性を痛感し、同盟通信の設立に奔走しました。

同盟設立後の1938 (昭和13) 年、古野氏は自らの体験を踏まえ、同盟社内で働く青少年の生活改善と訓育のため学寮の新設を岩永氏に相談。岩永氏の理解・協力で1939 (昭和14) 年4月に同盟学寮が新設されました。財団法人同盟育成会の同盟学寮の発足は1940 (同15年8月)。発足当時の寮生は17人でした。

岩永氏は、財団発足を前に1939 (同14) 年9月に急逝しますが、生前、財団設立に向けて4万円を寄付。死去後は岩永氏の遺族が5万6,000円と、合計で10万円近くを寄贈し、財団を支援しました。当時、米一俵が16円50銭前後の時代です。現在の価値に換算すると、約1,000倍近い、約1億円規模の金額となります。

岩永氏の後を継いだ古野氏ですが、発足当初の同盟学寮は、資金不足に陥っており、同氏は毎月、自らの給料 (5百円程度とされる) の半額を学寮経費として充当したといいます。

また、現在、同盟育成会の学寮事業と並ぶ2大事業の一つである奨学金事業は、1965 (昭和40) 年、古野氏の名前を冠した「古野奨学金」としてスタートしました。これは同氏が新聞界への貢献で受賞した「新聞文化賞」の賞金などを基に創設されたことによるものです。同氏の死去後、遺族から電通株約6万株 (現在の価格で約3,000万円) が育成会に寄贈されてもいます。

岩永、古野両氏は、同盟育成会の創設へ岩永氏が資金面で貢献、古野氏は初代会長として、1966 (昭和41) 年に現職のまま亡くなるまで育成会の学寮、奨学金の2大事業の発展に尽くすなど、今日の礎を築きました。